YamaRan's: モンゴル旅行記:4日目 モンゴル旅日記

[ 2002.09.28.(土)- 4日目:カラコルム ]

馬の足音で目が覚めた。本当は昨日から夏時間が終わっていたのだが、すっかり忘れていたので私たちは今日から標準時間。これまでより1時間遅くなる勘定だが、寝起き頭では理解出来ず、予定の時間より1時間早く起きた。「あれー、そろそろ朝食の時間のはずだけど、誰もいないなぁ」そりゃそうだ(笑)。歯を磨きに行ったついでにゲルの周りを見てみると、すぐ近くまで馬の足跡がついていた。例のねずみと思しき小さい足跡もたくさん残っていた。そしてすごく寒い!昨晩の夜、外にいる間に冷えたのか、お腹が痛い。うー。

朝食後、まず砂丘に向かう。私にとっては初砂丘だ。しばらく誰も来ていないらしく、きれいな風紋がついていた。よろよろと砂に足をとられながら登る。下に流れて行く砂が液体みたいに見える。砂丘の峰の部分は多少固くなってはいるが、歩きにくい。
てっぺんに体長2〜3cmほどのニョロニョロした虫がいて、丁度「セサミストリート」に出てくる”スライミー”みたいなヤツだったが、コイツの後ろには下までずーっと足跡がついていた。私がひょろひょろしながら登った所を、お前も登って来たのか!すごいぞ! 風がとても強くて、時とともに少しずつ砂丘が移動しているという話も納得。
画像をクリックで拡大&全体:しゃがんでいるのが私。マッチ箱に砂を入れてお土産にした。

車でカラコルムへ向かう。が、すぐに砂にはまり込んでしまい、動けなくなる。我々だけではどうにもならないので、近くのゲルで暮らしている人たちに助けを求めた。総勢6人ほどで車を押したりタイヤの周りの砂をかいたりして、思ったより早く脱出出来た。まあ、愉快なハプニング、といったところか(笑)。それからは何のトラブルもなく、お昼前には旧都カラコルムのエルデニ・ゾー遺跡に到着。

ガイドブックなどでは「広大な草原にこつ然と姿を現す」とか、そんな言い方をされていた。きっと昔はそうだったに違いないが、今は道も通っているし、近くに町もあり、大きな工場か発電所のような施設も見えた。門をくぐると、中は広い。何で?何のために?と思うほど広い。ここはかつて大寺院で、モンゴル仏教の中心地だった。その後戦いで滅ぼされ、次に都市として一時復興したが、首都がウランバートルに決まったためまた廃れ、再び寺院として再建されたが、今度は社会主義に潰され、そして現在は一部のお堂と僧院を残すのみ、という事らしい。この広さは過去の栄光の名残りか、と思うと少し悲しい。各地方の代表者が集まるために建てられたという、巨大ゲルの礎石が残っていた。

現在残っているお堂は3つ。各々に少年期、青年期、老年期の釈迦の姿を現した仏像がまつってある。真正面にあるそのお釈迦さんが御本尊かと思いきやさにあらず。全身真っ青で頭に骸骨飾りをつけて、牙をむいている、ヒンドゥー色もあらわなツァムという神様がメインだそうだ。面白いなあ。この3つのお堂には回廊がついていて、初日にガンダン寺で見たような御本尊の背後の石もお参り出来るようになっていた。
画像をクリックで拡大:ホテルに置いてあったパンフレットより。
3つのお堂のうち、向かって左、少年期の釈迦像がおさめられているお堂。

次に仏塔を見る。日本の感覚でいくと西を向いていそうなものだが、ここでは南向きだそうだ。モンゴルではゲルもすべて南向きに建てられる。これは草原のまっただ中では非常に重要な事で、遊牧民達が方角を知るためだけでなく、時間まで分かってしまう(つまり日時計の役割を果たす)と言う一石二鳥の習慣。縁起が云々とか、方位除けだとか、いろいろ言い伝えがある様だが、きっとそういう生活に密着した中で生まれて来たんじゃないかと思う。
画像をクリックで拡大:後で地図を見てみたら、きっちり南向きではなく、南南東、くらいの感じでした(笑)。

ぶらぶら歩いて、敷地内、お堂から塔を挟んで反対側の隅にある建物へ向かう。ここではお坊さん達がお経をあげていて、一般の人たちが祈祷してもらったりしている様子。ガイドさんについて中に入り、ガンダン寺の時と同じように、時計周りに部屋の中を一周した。壁際に細かく区切られた棚がたくさん並んでいた。背丈ほどの高さで、縦5〜6cm、横10cmくらいの各仕切りの中には、1つ1つ教典が布に包まれて入っていて、それを棚の下から上へ、下から上へ、と手でなぞって行く。というか撫でていく。これもマニ車と同じ要領だ。丁度一周したところに、大きな瓶が置いてあって、女の人が馬乳酒を振る舞っていた。お坊さんも飲んでいた。それも皆カフェオレ・ボウルみたいに大きな入れ物で。私たちも一口試してみたが、とても酸っぱくて二口目は遠慮した(笑)。

この時はじめて気がついたが、御本尊と思しきお堂の正面に安置された像からのびる、オレンジ色の太いひもを肩にのせて、老若男女が一列に並んで手をあわせていた。秘仏のご開帳みたいだ。ここでは常時仏さんにひもがついているのだろうか?私が見ている間にも、男の人がやってきて、列の一番後ろにつくと、ひょいとオレンジのひもを肩に載せていた。

ガイドさんが「旅の安全のお祈りをしてもらいましょう」と言って、建物のわきにある窓口で青いハダゴを買って、それをお坊さんに渡していた。神社のお祓いみたいに目の前でやって欲しい気もするが、まあいいや(笑)。


画像をクリックで全体を見る:1000トゥグリク紙幣はチンギス・ハーン。

入って来たのとは反対側の門から外に出る。つまり敷地内を横断したわけだ。門の側には物売りの女の子が2人いて、それぞれライバルらしく、お互いを意識しつつ商売をしていた。
馬具をかたどった置き物やなにかがこまごまと布の上に並べられていた。手前にいる子の商品を眺めていると、中国風のレリーフのついた嗅ぎタバコ入れがあった。なかなかいい感じ。値段を聞くと20ドルだけど16ドルでいいよ、と言う。よく見ると、もう1人の子のところにも同じものがある。デザインは同じ。どうしようか、と思っていると、手前の子が「こっちのには口金がついてる」とか「もっとまける」と言って来た。それでも悩んでいると(決断力のなさはいつもの事だ・笑)「いくらならいい?」と言う。10ドルと言ったら「11ドルでどう?」。結局買いました。ちなみにやり取りは英語。たぶん10才くらいかな?たくましいことだ。
画像をクリックで拡大:下に法輪のデザインが見える。

門を出て少し行くと亀の形をした石がある。昔は石碑の土台だったものだそうだ。御本尊の真後ろにある石に馬乳酒をかけて拝む風習がここにも登場していて、亀の顔の部分だけ黒くなっていた。池や噴水などに5円玉を入れてしまう様な感覚か?すぐ横では遺跡を発掘中。寒くなったので作業が中断されているらしい。誰もいないので、柵をくぐって中に入ってみたら、装飾のあとと思しき、表面を彩色された石なんかが転がっていた。おなかが空いてきたので車に戻り、カラコルムのツーリストキャンプへ。

カラコルムのキャンプは、私たちが泊まっているブルドのキャンプよりも大きくて、ゲルの数もかなり多い様だった。中央に一際大きなゲルがあって、ここが食事をするところ。直径は10数m、いやもっとあるかな。天井がとても高くて、装飾もにぎやか。お土産も売っている様子。しかしオフシーズンだし、食事時からはズレていたこともあって、客は私たちだけ。広い分かなり寂しい。食事は量が多かったが、モンゴル版肉うどんのようなメニューが美味しかった。 ここのキャンプはシャワー等の設備が新しいらしく、全体的にきれいだった。こちらではまだお湯が出るので、ガイドさんは髪を洗っていた。私たち姉妹はとりあえずトイレに行って、あとは犬と遊んで腹ごなし。3時頃に帰路についた。

ブルドのキャンプに戻ったら、すでにもうひと組の観光客(落馬した女の子達)はいなくなっていた。ひと休みしてから乗馬。初乗馬だ。馬に乗った馬子の青年にひいてもらって、約2時間のコース。前日に散歩した岩山の脇を通り過ぎて、小高い丘に登り、見渡す限り枯れ草色の景色を眺める。羊やヤギ、牛や馬などの群れが近付いてはどこかへ移動して行った。そのうちに自分が今どこにいるのかよく分からなくなってきた。1時間半ほどでお尻が痛くなってきて、キャンプに戻ってきた時には、ただ座っていただけなのに予想以上に疲れていた。風が強かったので、気がつくと砂まみれになっていた。私が乗っていた馬が一度、例のネズミの巣穴に足をとられてガクッときた時にはヒヤリとしたが、幸い転びも落馬もせず、初めての乗馬体験は無事終了。馬を自由に操れたら、さぞ楽しかろうと思う。

この日の夕食は、お昼に食べた麺の焼そば版みたいな炒めもの。味は悪くないのだが、連日の肉料理が胃にきているらしく、口の中が荒れていてあまり食べられなかった。朝、お腹をこわしたのも関係あるかも。妹はもともと肉はダメなほうなので、かなりキビシイ状態だった模様。食事には少ししか口をつけていなかった。それからドーナツの様なスナックが出た。モンゴルの家庭では大変ポピュラーなものだそうだが、これが美味しかった!外はサクサク中はふんわりで、本当は沢山食べたかったんだけど、やっぱり荒れた口にはキビシイ。残念!

ブルドのキャンプはこの日で今シーズンはお終い。そのため燃料が残り少なくなっているので、自家発電は早めにストップ。懐中電灯持参でハミガキ洗面を済ませて、おとなしく寝る。
クリックでちょっと拡大:
このデザインのマッチは、キャンプだけでなく、お寺でもよく見かけた。

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