英国「Radio Times」誌1999年10月 9〜15日号より。

I DID IT
HEMINGWAY

 激しく生きた作家、アーネスト・ヘミングウェイは、マイケル・ペイリンに少年時代から巨大な影を落としていた。彼は来週から放送開始のBBCシリーズのため、彼のヒーローの世界を股にかけた足跡を辿っている。アリソン・グレアムがレポート。


 かつてマイケル・ペイリンが「空飛ぶモンティ・パイソン」のメンバーだった時、BBCのロケ撮影にあてられた予算は、西ロンドンの郊外、「空飛ぶ〜」を撮影していたスタジオから石を投げたら届く様な場所に行ける程度だった。「BBCには私たちを一泊だって送りだす余裕はなかったんだ、例えそれが高額の出費でなくてもね。だからテレビジョン・センターからそう遠くない所へ行った --- シェパーズ・ブッシュとか、時にはイーリングにも。」

 「魚のダンス」の中でペイリンは、テディントン・ロックでジョン・クリーズに大きなスズキをふるわれて、20フィート下の水面に真っ逆さまに落っこちた。現在はもちろん、特大の魚で殴られる日々は、多分、終わった。魚は水の中、予算は増額。56才のペイリンは、テレビ時代のごく普通の旅行者であり、「80日間世界一周」「ポール・トゥ・ポール/東経30度の旅」「Full Circle」そして今回、来週スタートの「Michael Palin's Hemingway Adventure」で、彼は作家の足跡をたどる。

 しかし、BBC2で土曜日に放送される「パイソンの夕べ」の一部である「パイソンランド」で、彼は枢機卿の衣装でごく普通の郊外の家を飛び出し、「だれもスペインの宗教裁判など予期しまい(No one expects the Spanish Inquisition)」と叫んで、当時に戻った。「時々ロンドンをドライブしていて、ああいう場所に通りかかると考えるよ「ガス調理機のスケッチや馬鹿歩きのスケッチを撮った所だ」とかね。そこは尋常じゃない事が起きたありふれた裏通りなんだ。

 ペイリンの尋常でないもの探求は、彼をもう一度世界に旅立たせる事にもなった。「Michael Palin's Hemingway Adventure」で彼は、20世紀の古典を執筆するために、酒道楽、狩猟道楽、そして女道楽を何度も中断させられ、神話の中に消えた作家の生涯を追う。「「Full Circle」の後、1年間オフをとって2作目の小説を書くつもりだったんだ。もう旅行には絶対に行きたくなかったんだけど、突然この話が持ち上がった。今年はヘミングウェイ生誕100周年で、丁度いいタイミングだと思ったんだ。」

 企画は当初予定されていた3回シリーズから4回に延長された。「楽しかったり、やりがいのある題材を見つけたりすると、事は大きくなるものだよ。私がそうだったようにね。期待外れの場所はどこもなかった。」

 ペイリンのヘミングウェイ好きは学校時代からだ。「学校のAレベル(訳註:日本の高校相当)の教科書で、ヘミングウェイかジョセフ・コンラッドをやる機会があったんだ。彼はまだ生きている作家だったから、断然魅力的だった。私は「誰が為に鐘は鳴る」を読んだ。学校のみんなもこの本が好きだったね、セックス・シーンがあったから。ヘミングウェイの書き方では、何が起きているのかはっきりとは分からないから、学校中で様々な解釈が飛び交っていたよ。」

 1994年、ヘミングウェイ・マニアの大人しいヨークシャーの郵便局員の物語「Hemingway's Chair」を執筆するにあたり、ペイリンは作家とその旅を振り返った。「本を書く時にヘミングウェイ関係の本を沢山読んで、そこからこのシリーズが生まれた。これらの場所を見たかったんだ。」

 ヘミングウェイは、当然、大きくて、無遠慮かつかなり恐いキャラクターだと思われがちだ。しかし彼には男性ホルモンをみなぎらせた伝説以上のものがある、とペイリンは主張する。「彼にまつわる様々な事柄に魅力を感じる。それは彼の様な人には何でもない事、私にはとても難しいと思う事だけど、彼には旅への情熱と生きる事への欲望があった。彼には人を元気づけて、やる気を出させる才能があったんだ。大人しくて、どちらかというと怠け者のシェフィールド出身の、私の様な少年は、おかしなことにそういう所に魅力を感じるんだよ。」

 もちろん、ヘミングウェイは謎に包まれている。「とてもたくさんある。彼は人類創造以来、誰よりも沢山酒を飲んだというけど、私の知る限りではたぶん本当だろうね。彼は大の女好きだったと言う話だが、実際彼には4人の妻がいたんだけど、それぞれの(訳註:結婚生活の)間に何度もの情事を持ったという証拠は非常に少ない。彼はある意味ではむしろ哀れだった。彼の面倒を見て、身の回りを整理してくれる女性を必要とするような、そんな人だったんだ。しかし数年すると彼は飽きてしまい、他の人に走る。それでも私は、彼が書いたように彼が連続女道楽魔だったとは思わないね。

 しかし彼には酒と女以上のものがあった。「人には様々な面があるもので、彼は非常に自信のない人で、主に著述に興味があった。書く事、上手に、そして今までに書かれたものよりも良いものを書く、それが彼の本当の動機なんだ。それはとても孤独な事だよ。部屋に腰を落ち着けて書くのでは、とても英雄的にはなれない。でも彼のそういう面に私は興味をそそられるんだ、もう書く事が出来なくなって彼が自殺した事実も含めてね。彼はたぶんハンティングをしなくても、もしかしたら酒を飲まなくても生きられただろうし、一人の妻と落ち着いて暮らすことだってきっと出来た。でも書く事なしでは、彼の人生には全く価値がなかったんだ。」

 「彼の人生の終わりに、とても感動的なエピソードがひとつある。ヘミングウェイは1961年のケネディの就任式のために、何か書くように頼まれた。ほんの一言だよ。その時彼についていた医師は彼が机に向かっているのを目にしたけど、彼には書けなかった。最後にはヘミングウェイは泣き崩れてしまった。この偉大な男、この大きな雄牛のような男の思想が、涙を流させたんだ。アメリカの偉大なる新しい夜明けへの、彼の気持ちをまとめる一言を書く事ができなかったんだからね。

 疑いようのないヘミングウェイの攻撃的な性格にもかかわらず、ペイリンは2人は対等な友人になれるだろうと感じている。「私たちは純粋に一個人として仲良くやっていけるんじゃないかな。彼には全くの表向きの顔があったからね。大人数のグループの中にいると、彼はどうしても自分の野暮な所や乱暴な振る舞いを表に出してしまうんだ。ごくたまにグループの中の彼を見た人は、彼は自分の意見ばかり大声で話していて全く不愉快だった、と言っている。」

 「彼があの世から連れ戻せたら、私たちはいろいろと話が弾むだろうね。でも結局彼は「来いよ、マイケル、腕相撲でもしよう。海で釣りをしよう。」なんて言うんだろうな。」

 今なおヘミングウェイを愛する国々、イタリア、アメリカ、スペイン、そしてキューバで、ペイリンは4ヶ月に渡ってシリーズを撮影した。「彼にまつわる聖地が沢山あるんだ。もし彼が座った椅子に座ろうとしたら、キューバ人が近付いて来て「ダメだ、あっちへ行け」と言うだろうね。」

 しかし彼が訪れた全ての地で、人々は喜んでヘミングウェイの思い出を共有している。「彼はみんなが話の種にする人物の1人なんだ。会話が勝手に彼の方に脱線してしまう。みんなが彼に関する意見を持っているんだね。」

 パイソン的な一幕もあった。「フロリダでヘミングウェイそっくりさん大会を撮影したんだけど、参加者がひどくてね。全員中年の男性。2人くらいはヘミングウェイっぽい感じだったけど、あとはノエル・エドモンズとかデス・リナムのそっくりさんコンテストでもいけそうなのばかりだったよ。」


「Radio Times」1999年10月 9〜15日号:
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