英国「Radio Times」誌1999年10月 9〜15日号より。


COMEDY
Python Night Saturday BBC2
It's...
新旧スケッチと共に「空飛ぶ〜」が30周年を迎えるにあたり、 ジョン・クリーズがスティーブン・パイルに、 メイド・イン・ヘブンのコメディ再結成について語ります。
後半では、パイソンズをスペインの宗教裁判に。


 ドアが開くと、そこにジョン・クリーズが立っていた。白いパジャマに黄色いドレッシング・ガウンを着ている。私が初めて彼にインタビューした時、彼はシャワー中で素っ裸だったのだから、これでも立派な協調へのステップ・アップと言うべきだろう。

 彼は午前9:30などという時間に、「空飛ぶモンティ・パイソン」の5人の生き残りメンバーが、30周年記念のパイソンの夕べに再結成し、ブラウン管に戻って来る訳を、もっと言えば、1974年に「もはやオリジナルではない」と感じ、グループを脱退した彼が、なぜ今(共同執筆ではあるが)これに参加するのか?それを説明する事を彼は了承してくれた。

 ウエスト・ロンドンにある彼の家の、明るく風通しのいい居間に通され、彼が記念づくしの人である事がわかった。パイソン30周年の日は、丁度彼のお母さんの100才の誕生日に当たる。その上、今月末には彼自身の60才の誕生日。「今年は年金をもらうけど、ちっぽけなものだよ。」と彼は言う。中流階級の悩みの種を茶化しているのかと、私は彼の表情をうかがった。違った。彼は心底真剣だった。

 幸せにも、作家であり賢者のローレンス・ヴァン・ダー・ポストが何年も前に彼にアドバイスしたように、年金が彼にやっと行動を起こすチャンスを与えてくれたらしい。嬉しい事に、彼はいくつかの企画を抱えているが、「未来」には待っていてもらわなくてはならない。私たちは「過去と現在」について話し合うためにここにいるのだから。

 大きな白いソファに腰を落ち着けて、彼は華麗なる円熟期が、敬老パスと共にぼんやりと、パイソンズの随所に忍び寄っていると話した。「結構仲良くやってるよ、昔と違ってね。」彼はマイケル・ペイリンとは頻繁に表立って顔を会わせているが、最近メンバー4人でディナーに出かけたとはいえ、他の面々と会う事はほとんど無かった。「私たちは、みんなが一緒にいる時の方が、他の人といる時よりもよく笑っているという事に気がついたんだ。」かつてはまるで犬と猿の様に、スケッチについてしょっちゅう言い争いをしていた。「年を取るにつれてそういう事はあまり気にならなくなる。35年間も書いていると、譲歩するのもずいぶんと楽になるよ。どんなに猛烈に気にしている事でも、全然うまくいかないと、きっと他のみんなが正しかったんだ、と気がつく。」

 実際、今彼がパイソンの旧作を観る時、彼は言葉通りのチグハグさを見て取る。「私はよく、三つの事柄が心底可笑しくて、ある一定量がその時点でオリジナルであればOKだ、と思っていた。残りはちっとも面白くなくて、何を考えてたんだと人から不思議に思われる。でも私たちは新しいやり方で事を運んでいたんだ。初めてルールが壊された時の解放感は、今では誰も思い出せないよ。」

 実は、彼らはすでに昨年3月、コロラド州アスペンのコメディ・フェスティバルで初の再結成を果たし、ステージ上でQ&Aセッションをしている。「エディ・イザードが私たちと一緒に登場して、始めのうちは質問に答えていたんだ。みんな「彼はどのパイソンだ?」と思っていたね。」また、彼らは故・パイソン、グレアム・チャップマンが入っているとおぼしき骨壷をステージに持ち込んだ。偶然それが倒され、灰がまき散らされてゾッしてはじめて、観客はそれが独特の冗談である事に気がつくのだ。

 再結成は非常に楽しく、彼らはステージ・ツアーを行う事まで決定してしまった。「終わってからお決まりのパイソン会議を開いたんだ。私たち全員がツアーに同意して、部屋を出て8時間後にはみんな気が変っていたよ。次のミーティングでは、テリー・ギリアムはあまり乗り気ではなかった。ペイリンは長期ツアーはやりたくない、ラスベガスのみの公演はいやだけどニューヨークならいいと言って来た。しかしエリックはニューヨークではやりたがらず、そうやって全てが立ち消えになった。」

 BBCが30周年記念の夕べを提案した時はよりよい反応があり、エリック以外の全員がスケジュールを空けていた。「エリックにはあまりやる気に燃えている様な印象を受けなかったね。彼が本のプロモーションのためにこっちに来た時に、パイソンの夕べ用に少し撮ったんだ。」

 他の4人は「夕べ」のリンク用に12〜15分の新作の脚本を書くため、2ヶ月にわたってミーティングを重ねた。主な内容は、エディ・イザードの司会でパイソン現象のドキュメンタリー、パイソン・ソングとギャグの番組、ペイリンの西ロンドン旅行記など。「マイケルとテリー・ジョーンズが大まかな草稿を書いて、私がもう2つ草稿を書いて、それからミーティングに入った。その後マイケルはもう少し書いたね。私はリンクで「夕べ」にまとまりを持たせようとしたんだ。」進行方法はどうあれ、その結果は、彼曰く、非常にパイソニックだ。

 「グレアム・チャップマンが今も一緒にいてくれたら、一層強力なものになっていただろうね。でもあいつはモノグサ野郎だったからな。彼は私たちと一緒になって口論なんかしなかった。離れた所に座って時々すごく気狂いじみた事を叫んで、私たちに新しい方向性を与えてくれるんだ。でもグレアムは素晴らしい俳優だったから、アルコールの問題がなければ、私たちはもっと彼への理解を深めただろうね。」

 ここにきて、再びぼんやりとした大きな年金の話題に戻った。数年前、故・ローレンス・ヴァン・ダー・ポストが彼にこう言った。「ジョン、君は人生に少し余白を空けて、そこに何が漂っているのかを見つめるべきだ。」そういうわけで、潜在意識に沸き起こるものを見つめるために、彼はアメリカ西海岸にある彼の家で2年間過ごすつもりだ。「物事を提案するには、一風変ったやり方で、無意識に従ってやらないと。」と彼は言う。彼はまた、シカゴで育った15才の娘、カミラと一緒に暮らす事も考えている。「ひどく彼女が恋しくてね。これからは父親業で忙しくやっていくつもりだよ。」

 彼の人生を空っぽにする者に備えて、彼にはこれからやる事が沢山ある。彼は3作のコメディ映画の脚本を書いているが、近頃コメディという名の恩知らずな女神は、信奉者にリライトという苦行を強いるにもかかわらず、何も見返りを与えてくれないと思うようになった。「コメディを書く上で問題なのは、コメディを書く事以外に何も学ばない事だよ。私も何かを勉強していたら良かった。」

 そういうわけで、彼はドイツ語を学ぶつもりだ。「45年前からドイツ語は勉強したかった。私には魅力的なんだ。ドイツの作家は他の国々と比べるとより一層興味深い。何年か前に夢を見たよ。私はスーツを着た3人の中年男性と同じ部屋にいて、「私の第一言語がドイツ語だったらなあ」と言うんだ。

 全体として、彼はこれが1つの区切りだと感じている。「この18ヶ月で私の人生の特別な章が閉じられた。私は常に、あるコメディからまた別のコメディへと働き続けて来た---私も前進して新しい事をしたいんだ。」

 これは一大スクープだろうが、ある出来事のため、私は額面通りには信じない。帰り際に(彼がケンブリッジで行われた輪廻会議の会期中に買った木製の犬を通り過ぎながら)彼は長年あたためているTV番組のアイデアについて触れたのだ。恩知らずな女神は戦うこと無く彼を手離したりはしないようだ。


「Radio Times」1999年10月 9〜15日号:
ジョン・クリーズ・インタビュー | パイソンズ・アンケート | マイケル・ペイリン・インタビュー
Monty Python!!
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