YamaRan's: モンゴル旅行記:7日目 モンゴル旅日記

[ 2002.10.01.(火)- 7日目:テレルジ〜ウランバートル ]

相変わらず寒いが、陽が出ている分いい。朝食の後、私たちが心配していたイベントの1つ、ゲルの組み立て体験。どうせ観光客用なんだから、組み立てって言ってもほとんど見てるだけ、みたいなもんじゃないの?なんか感じ悪くない?と思っていたので、2人ともあまり乗り気ではなかった。しかし、この日はホテル従業員のための冬用ゲルを組み立てる、実際の作業があり、ガイドさんも「何もないところからつくるのは初めて!」だという。ツイてたかも。
画像をクリックで拡大:右手前に写っているのはゲルの屋根用フエルト。左奥がホテル。お客さんが泊まっているゲルの煙突からは煙が出てます。

まず、蛇腹に組まれた壁用の竹パーツを広げて、ゲルの円周に合うようにいくつかを結びあわせる。この段階で沢山連結させれば、広いゲルになるわけ。今回は4つくらい繋いで、直径4〜5mくらいだったと思う。この時、入り口になる部分にドア枠を取り付ける。これで竹格子の大きな輪ができる。

次に天窓と柱。柱はT字型になっているので、その腕の部分を円形の天窓の枠にしっかりと結びつける。これが出来たら、次は屋根の骨組み。天窓の枠にあるくぼみと竹蛇腹の上の辺、竹材がX字になっている部分に、1つ1つ細長い木材を渡していく。これが360度きちんと入れば、もう柱と天窓はバランスを保ち、自立する。が、これが難しい。四方から数人で作業するのだが、1人がずれていると、周りもやり直しだ。作業をリードするおじさん達は、歌を歌ったり、くわえ煙草で慣れた様子ではあったが、時折「ダイジョブ?」等とお互いに声を掛け合っていた。(その時「あ、ホントだ。ダイジョブって言ってる!」と思ったのは言うまでもない・笑)

全ての骨がくぼみと竹の上にきちんと入ったら、蛇腹の円周をヒモできつく巻いて、補強する。ヒモの一端をドア枠の片側に結び、ぐるっと回してドア枠の反対側に結び付ける。これを壁面上部と、足元の2ケ所で行う。これで骨組みは完了。次はフエルト。壁はフエルトを巻いてから、骨組み同様ヒモでしばる。屋根は半円型のフエルトを左右からかぶせて、上にヒモを渡して数カ所で押さえる。このゲルは冬用なので、フエルトは二枚重ねにする。その上から白い布をフエルトと同じ要領でかぶせて、ヒモでしばって、完成!約1時間半くらいで出来た。

途中、白い布を屋根にかける段階で、左右の布の組み合わせが間違っていた。倉庫から出す時に右か左、同じ側のを2枚持って来ていたらしい。そこで1人の小柄なおじさんが走って取りに戻ったが、なかなか帰って来ない。他のおじさん達は一息ついている。ようやく戻ったと思ったら、これも又間違っていた(笑)。「なんだ、またか!」とおじさん達に指摘される小柄なおじさん。ブツクサ言いながらまた倉庫に引き返した。残りのおじさん達は「あいつはトロいな」という様な雰囲気で言葉を交わし、笑っていた。妹「あのおじさん、完璧パシリだね。」どこに行ってもそういう人っているよね。

ひと休みしてから車で出発。ウランバートルへ帰る。途中、亀石と呼ばれる巨石を見物。確かに巨大だけど、特に感慨はなし。それよりも、そこから車で少し行ったあたりで、正面に見える山の尾根の一部が、合掌している僧侶に見える、というポイントの方が面白かったかな、私には。だってちゃんと西向きなんだよ、自然の造型なのに。

そろそろナライハ市、という辺りまで来ると、左手に墓地が見えた。遠めにも淋しい雰囲気だ。日本なんかと違って敷地が広いので、墓標もまばらに見える。いや、だいたい「ここからここまでが墓地です」という柵などは目に入らなかったように思う。ガイドさん曰く「昔は鳥葬でしたが、今はみんなお墓を作ります」。行きにはよく分からなかったが、今日は天気が良いので、ナライハ市の周囲にゲル集落が広がっているのがよく見えた。ガイドさんのご両親は旭天鵬関の両親と親しいそうで「彼のお父さんお母さんは、このゲル集落に住んでいます」と教えてもらった。

ウランバートルに入りホテルに戻る前に、予定には「カシミヤ工場へ」と書いてあったが、正確には「カシミア工場併設ショップへ」だった。特に興味はなかったが、せっかくなので親へのお土産に、カーディガン等を購入。どうでもいいけど客は白人ばっかりでした。「あれをみせてくれ」「これの色違いは?」と買い物熱心なお客の相手をする店員さんの、面胴臭そうな様子が印象的でした。

ホテルに着いたら夕食まで自由。これまで自分用を含めてお土産をほとんど買っていなかったので、買い物に出かける事にする。先日散歩した時に道沿いに並んでいた様な、半地下になった薄暗い商店に突入する勇気と体力はないので、バカの一つ覚えで再び国立デパートへ向かった。
画像をクリックで全体を見る:メインストリート沿いの美容室の看板。よく見るとトム・クルーズやブルック・シールズだったりします。

今回はお土産フロアだけでなく、他も覗く時間があった。衣料品の階、家電製品の階などをぶらぶら眺めたが、物が溢れきった様な東京を意識しないわけにはいかなかった。それから、ここではどれも値段が高い。もちろんモンゴル人のお客さんがほとんどだが、普通の人が普通に買い物しにくるところではないのかも。普段の買い物はザハ(市場)へ行って「よし!今日はテレビを買うぞ!」とか(笑)そういう時にデパートに来るのかな、という感じ。しかし1階の食品売り場は別。地元の人や観光客で大混雑だった。中国や韓国からの輸入物が沢山並んでいた。モンゴルは(食品に限らず)輸入に頼る所が大きい、と言う話をガイドさんから聞いたのを思い出した。

お土産を買ってホテルに戻る。途中、バス停の前を通り過ぎる時に気が付いた。「どうしてここにだけ砂が?」。バス停の辺りにだけなぜか砂が集まっている。風が吹くとものすごい砂埃だ。その通りはウランバートルを横断するメインストリートで、歩道も車道もちゃんと鋪装してあって、草原からも遠く離れているのに。特別その辺りがくぼんでいるとか、そういったわけでもない。我が妹の推論は「これはきっとバスの乗客の靴について運ばれて来たんじゃない?みんな地方から乗って来て、ここで降りるから、バス停の周りに砂が溜まるんだよ、きっと。」量から見て、それはあり得ない

モンゴルでの最後の夕食は、韓国系のレストランでバイキング。モンゴル料理屋さんに行く事も出来たが、旅程の後半では妹が胃の調子を崩していたので、肉料理以外が選べそうなバイキングの方にした。実際、サラダやのり巻きなどもあった。しかしメインはやっぱり肉料理。ベジタリアンにはモンゴル旅行は難しいだろう(笑)。ジャスミンティを頼んだら「どう間違ってもこれはジャスミンじゃないだろう」(ティーバッグの袋を見て確かめようにも、ハングルで書かれているので不明)という様なお茶が出て来た他は、可もなく不可もなく。

食事をしながら、ガイドさんといろいろと話をした。モンゴル旅行はとても快適だったが、かつて日本はモンゴルの敵だったのだから、もしかしたら今でもあまり快く思わない人もいるんじゃないかな、と思って、その辺りの事を聞いてみた。まあ日本人の”客”の前ではあるが、「もちろんその当時は敵でしたが、今、日本はモンゴルを援助してくれる国の1つです。皆ありがとうと思っています」とのことだった。今は日本人ではなく、中国人の印象が良くないらしい。「中国人と結婚したりすると『なんで中国人なんかと!』と皆から言われる」。ガイドさん本人も、以前お客さん(日本人)に褒め言葉で「上海美人って感じね」と言われた時はイヤだったそうだ。

明日は帰国の日だ。朝が早いので、ホテルに戻って荷造りを済ませて、早めに寝る。

8日目へ

inserted by FC2 system