YamaRan's: モンゴル旅行記:6日目 モンゴル旅日記

[ 2002.09.30.(月)- 6日目:テレルジへ ]

寒い。だ。参ったな。9:30にホテルを出発。まずは宮殿博物館へ。入り口にある受付(管理人用)の中で開くのを待った。「9時開館と言って9時半になっても開いてない。モンゴル流です(笑)」とガイドさん。南に門があり、東西と北に計3つのお堂があるので、各々見てまわる。活仏(モンゴル版ダライ・ラマ)の憧れの女性をモデルにしたと言う仏像群がカッチョいい!セクシー!立体の仏像だけではなくて、モンゴルの伝統的手工芸の1つでもあるパッチワークや刺繍で表現したものなどもあって面白い。日本でも見なれた薬師如来などのほかに、やはりここでもヒンドゥ/密教系満載(いや、モンゴルの仏教は密教なんですけどね・笑)。エルデニ・ゾーで見た歓喜天は、どこからどう見てもガネーシャのゾウ頭でしたが、ここのは男女が抱き合っている合体仏タイプ。で、これがやたらと多い。刺繍の曼陀羅やら何やら合体仏ばっかり。最近調べてみたら「チベット仏教の仏画は合体仏が多く見られ」るらしい。
画像クリックで拡大:合体仏。手前にいるのが女の人。手が4本あるわけではない。

お堂からお堂へ移動する時に、自分の上着についた雪の結晶をみてビックリ!雪印のマークのような結晶の形がはっきりと見える!生まれてはじめてだ!ちょっと感激。まあスキーやスノボをする人だったら珍しくもないのかもしれないけど。

一通りまわったら、同じ敷地内にある活仏の冬の住居だった建物へ。「宮殿博物館」という名前から想像する様なゴージャスな建物ではなかった。ロシア風でペチカがついている。こちらにはモンゴルの指導者でもあった第8代活仏・ボグドハーンと、その奥さん(政治的な意図があって結婚させられたらしい)の衣装、装飾品や、世界各国からの贈り物などが展示されていた。印象に残っているのは、一枚の絵の中に遊牧民の生活習慣等をたくさん盛り込んだ大きな絵画。沢山の人や動物が描かれていて、いろいろな事をしている。旅行に出る前に観た「モンゴル近代絵画展」の解説によると、こういうスタイルはモンゴルの伝統的なものらしい。町のお土産やさん等では、こうした大きな絵の中から、例えば乳搾りをしている所とか、歌を歌っている人たちなど、一部を模写したものが沢山売られていた。

ここの一番の目玉展示物とされているのは、毛皮で出来たゲル。これも活仏への貢ぎ物だそうで、これまた貢ぎ物の銀器が満載。モンゴルでは箸をはじめ、食器は銀の物が好まれていたそうだ(最近は箸を使う人はあまりいないらしいが)。これはチンギス・ハーンにまつわる故事に由来するらしい。チンギス・ハーンの忠臣の1人が、毒味を命じられた。彼が食事を口に入れようとしたところ、指をつたってきたスープが銀の指輪に触れた。すると指輪の色が変わり、彼は命を落とす事なく、チンギス・ハーンの命も守ったという。後日TVを観ていたら、中国でも「毒に反応するから」と銀の箸が使われる事がある、と言っていた。モンゴルの習慣と関係があるんだろうか?

いよいよテレルジへ出発。ウランバートルから北へ向かう。「こんなに寒くなると思わなかったから、コートを取りに家に寄っても構いませんか?」ということで、途中、ナライハ市にあるガイドさんの家に寄る。全体的にこじんまりとした街で、規模は大きそうだが、なんとなくのんびりした雰囲気。ガイドさんの家は団地の一室で、ご両親とお姉さん、姪っ子の5人家族。お姉さんのだんなさんは韓国に出稼ぎに行っているそうな。「モンゴルの普通の家がどういう感じか分かりますよ」と言って、私たちを招待してくれた。

玄関を入ると靴を脱いで上がる。「サンバィノー(こんにちは)」とあいさつをして、居間に通してもらった。室内も外観同様、日本の団地とそれほど変わりはない感じ。昼間なのでお母さんと姪っ子がくつろいでいたようで、テレビがついていた。ソファに座ってミルクティーを頂く。モンゴルのミルクティーは塩味。日本でも東北は塩辛い味付けになる様に、モンゴルも冬の寒さから全体的に塩味の傾向があるのだろうか?でも隠し味とかそんなものではなくて、しっかりはっきり塩味(笑)。やはり家庭によって塩味の濃い薄いがあるそうで、ガイドさんによると「うちは薄い方だと思います」。お菓子も頂いて、「バィルラー(ありがとう)」を言っておいとました。家を出てからガイドさんに「お母さんが『あの子たちモンゴル語話してるね』って言ってましたよ」と言われる。てへへ。

車で更に北上。途中、大きなオボーで願いごとをする。オボーとは、石を積み上げて出来たマウンド状のもので、てっぺんに棒がさしてあって、たいていそこにハダゴが結んである。街から出るとよく見かける。この周りを一周する毎に石を1つ投げ、3周して願いごとをすると叶うそうだ。私たちが願をかけたオボーはこれまで見た中でも一際大きくて、高さは私の身長(約160cm)よりも高かった!それだけ沢山の人が願いごとをしたわけだ。雪はやんでいたが、風が強くて極寒だったので大急ぎで3周して、車に戻ってまた出発。

お昼頃、テレルジにあるホテルに到着。ゲルかホテルかを選べたので、前日にホテルをお願いしておいたのだが、この寒さではちょうど良かったかも。私たちの他には、ウランバートルのオランダ大使館職員の中年女性2人連れ(英語のガイドさんはアメリカ帰りの18才の青年)日本人の女の子2人連れ(携帯で記念撮影。ゲルに宿泊)が泊まっていた。

到着後は4時間の乗馬トレッキングの予定だったが、そんなに自信もないし、その上この寒さ。私は1時間くらい乗って、妹は乗馬をやめて写真撮影タイムとする。これまでの所と違い、テレルジは山あいにあるので、また違った感じの写真が撮れる事だろう。まずは皆で馬子一家のゲルを訪問して様々な乳製品を試食。どれもおいしいんだ、これが。淡白なチーズの様なもの、クロテッドクリームのメチャクチャ濃い様なもの、もちろんヨーグルトも!あんなに寒くなかったらもっと沢山食べたのになあ。

そしていよいよ乗馬タイム。妹やガイドさんに見送られ、本日の馬子・10才かそこらのくりくり坊主がまたがる馬に先導されて出発。前回は見渡す限り枯れ草色のだだっ広ーい所をさまよう様に移動したが、今回は木立をぬって進む。山の紅葉を眺めたり、小川をザブザブ渡ったり、かと思うとパッとひらけた所に出たり、とても変化に富んでいて楽しかった!少年は帰り道、「ダイジョブ?」と声をかけつつ少し早足(ギャロップって言うやつかな?)に挑戦してみてくれた。ガイドさんによると、モンゴル語では「大丈夫?」と言うのは「ダイジョブ?」という感じの発音なのだそうだ。それで言いやすいのだろう。

ホテルの近くの林を抜けた所で散策はおわり。馬って乗る時より降りる時の方が怖い気がする。怖いと言うか、降りにくい。時折陽が差してはいたが、寒さは相変わらずだったので、どうなることかと思ったが、厚着のお陰か、夢中になっていたせいか、思っていたほどは凍えなかった。短い時間だったが楽しかった。「機会があれば是非ともまた乗馬をしてみたいものだ」と思いつつ、上機嫌でホテルに入ると、ロビーに妹がいた。私が部屋のカギを持ったまま出てしまったので、待っていたと言う。ごめん(笑)。でも5分くらい勘弁してよね。

夕食までは何も予定がないので、部屋でだらだらと過ごす。このホテルの印象は、良く言えば”共産主義時代の面影を残す”、率直に言えば”味も素っ気もない”。ロビーから2階に上がる大きな階段や、そこに下がっているシャンデリアが往時をしのばせるが、部屋の中は本当に味気ない。少々丈の足りないシーツがかかったベッドと、けば立った毛布、シミの浮いた鏡のかかった洗面所に、タイルがところどころ剥がれたシャワー(バスタブなし)。大きな窓には薄いカーテン一枚、それも窓を被うにはかなり小さく、暖房が入っている割には室内は薄ら寒い。夜、寝る時の事がちょっと心配。「下手すると薪ストーブが入ってるゲルの方が暖かいかも」。

荷物の整理をしたりして過ごすが、それでも時間は大あり。「乗馬で通った道がいい感じだったよ」と言って妹の写真撮影について行く事にした。しかしあまりの寒さに降参。ちょろっと歩いただけで写真も撮らず、2人で震えながらまた部屋に逃げ込む。結局モンゴルの睡魔に負けて昼寝。

夕食にはホショルが出た。今回のはデカイ!大人の手くらいある。前回食べたものの方が美味しかった気がするけど、今回のも肉汁たっぷりでおいしかったです。食後はガイドさんとモンゴルの事、日本のこと等を話した。ガイドさんは籍を置いているモンゴル最大手の旅行会社・ジュールチンの最優秀日本語ガイドで、年内に御褒美の日本での長期研修に出発するそうだ。これまでにも何度か来日経験があるそうで、今度日本に行ったら「モンゴル800がどういう歌手なのかチェックして、お土産にCDを買って帰るつもり」だそうだ。部屋に戻ったら、テレビはないのですぐに寝た。

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