YamaRan's: モンゴル旅行記:2日目 モンゴル旅日記

[ 2002.09.26.(木)- 2日目:ウランバートル市内観光の日 ]

旅行先のわりにはよく眠れた。ホテル内のレストランのうち、昨日の夕食とは違う方、広い方のレストランで朝食。ブュッフェ・スタイルだが、選択肢はあまり多くない。ハム、チーズ、トマトをサンドイッチにして食べた。TVで「パワーパフガールズ」を見ながら身支度をして、9:30に出発。

まずはガンダン寺。雨が降っていて寒い。ここは社会主義時代の反宗教政策下で唯一破壊を免れたというチベット仏教のお寺。こま犬が、口の中に鳩のエサをつめこまれて立っていた。門をくぐると、赤を基調としたお堂があり、入り口付近には五体投地をする人のために、金属製の台が置いてあった。形としては、とび箱の時に使う踏み板がもうちょっと細長くなったような感じ。五体投地とは、一言で言えばお辞儀の最上級みたいなもので、うつぶせになって全身を仏様の前に”投げ出す”。昔、熱心な信者は五体投地をしながら巡礼したという!「地べたじゃなくてこの上でしなさい」と台が用意されているというのは、きっとかなり気が利いているんだと思う。この日は雨だったせいか、誰も使っていませんでしたが。
画像をクリックで拡大:緊張感のない狛犬。獅子かな?

お堂の周りにはマニ車がたくさん並んでいた。マニ車とは、中に経文の入った(主に)円筒形のもので、これを一回まわすとお経をあげたことになる、という便利なもの。小さいのやら大きいの、金ぴかのやら黒いのやらが、ずらーっと並んでいて、これを各3回まわしつつ願いごとをする。お堂の裏手まで進み「ようやく半分かー」と思いフと見ると、壁の真ん中あたりに、真っ黒い四角い石があった。この石は丁度御本尊の真後ろに位置していて、体の悪い部分で触れながらお祈りすると治る、と信じられているそうだ。真っ黒くなっているのは、ちょうど日本のお神酒の様に(?)、そこに馬乳酒をかけるので変色しているらしい。・・・というガイドさんの説明を聞いていると、後ろから来た韓国風メイク(ウランバートルで流行中)のお姉さんが、その石に膝をあてながら手を合わせて拝んで行った。私はとりあえず頭をゴリゴリしておいた。
屋根の下の金色のものがマニ車(画面中央)。街灯の足元にあるのが五体投地台(画面左下):画像をクリックで拡大

お堂を一周してから中に入った。正面に御本尊、それを中心にして左右に向かい合うようにして祈祷台というか、経文を載せる机が並んでいて、お坊さん達がそこに座ってお経をあげている。さらにそれを取り囲むようにして一般の人たちが立っていて、私たちはガイドさんについて、堂内を一周した。壁面には小さな仏像や、馬や羊の脂肪を着色・成形したというお供物がならんでいる。一番御本尊に近い席に座っているお坊さんの前へ進み、 呪文 真言を唱えてもらい、五鈷杵(両端が5つに分かれている法具。たまに仏像が持ってる。)で頭をコツンとしてもらいました。御利益あるといいなあ。

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お堂に向かって左手、木の下にブレーメンの音楽隊みたいな像が立っていた。下から順に、ゾウ、サル、ウサギ、ハトがのっかっている。ガイドさんに聞くと、これは「モンゴルではとても有名な昔話に基づいている」そうだ。

動物達が木になった果物を取ろうとするが手が届かない。ハトは「私が子供の頃には、この木はまだ小さな若芽だった」と言い、サルやウサギも各々「自分が子供の頃はこの位だった」と言い、ゾウは「私が子供の頃、この木にはもう実がなっていた」。そこで動物達は下から年の若い順番になって、とうとう果物を取ることが出来ましたとさ。

「目上の人を敬いましょう」「みんなで力を合わせましょう」という仏教説話ですね。だからお寺の境内にあるのか。ちゃんと木の下にたってるし。

お堂を出て、裏手にある開眼観音堂へ。途中、唐突に1本の木の柱が立っていた。まわりに人が集まっていて、皆それに触れながら柱の周りをゆっくり回っていた。その柱はかつて活仏(モンゴル版ダライ・ラマ)の住まいに使われていた物で、社会主義時代の反宗教運動で焼き払われた時に焼け残ったもの。活仏の手形が残っている、とのこと。みんなが触るのでその「手形」は木のうろのように穴があいていた。若い女性が青くて長い、スカーフというか、マフラーの様な布をこの柱に巻いていた。これはハダゴといって、自然の5つの恵みを表わすもので、の他にも赤、白、黄、緑と全部で5色あり、それぞれ空、火、母の愛、太陽、大地を表わしているそうです。五行説というやつでしょうか。お寺の装飾にも必ずこの5色が使われていて、祈祷などをお願いする人は、このハダゴを奉納する様です。

その柱の先に開眼観音堂がある。入り口の前には大きな香炉があって、この屋根の四方についている小さな鐘(ちょうど風鈴のような感じ)を1つずつ手で触って、音を鳴らしながら周りをまわる。この音で悪い物を退散させるそうだ。

入り口に立っているお坊さんに入館料を払って中に入る。観光客は1ドル。昔、活仏が盲目になり、その平癒を祈願して建立された大仏立像がここにまつってある。といっても、こちらも旧ソ連時代に一度壊されて、兵器の材料として供出させられてしまったそうで、今立っているのは復元した観音さま。高さ26m!でかい!手には5色の巨大ハダゴ、胴体部分には山珊瑚などの装飾が施されていて、金ぴか!壁面にはずーっと天井まで小さな仏像が所狭しと並んでいる。ところどころに日本で言うと焼香台のようなものが置いてあって、お参りに来た人たちはお賽銭をおいたり、その煙を体にかけたりしていた。においはお香というよりハーブっぽかったかな。ガイドさんによると、近所の子供達も気軽にやって来ては「テストでいい点が取れますように」等と願いごとをして行くそうだ。私たちがいた間にも小学生と思しき集団が来て、キャッキャ言いながら煙をかけあったりしていた。

外に出て右手に売店があった。ここでハダゴを売っていた。私は目が悪いので、開眼観音にあやかってお守りを購入。銀色の地に赤や青の石がはめ込まれていて、チベット文字がかいてある。スイッチを入れると読経が流れるという寺グッズ(笑)にかなりひかれてしまったがちょっと高いので断念。雨に濡れた黒犬がしっぽを力なくたらして歩いているのを眺めながら、車に戻った。この頃には雨はやんでいた。
画像をクリックで拡大:お守り。こういうのを身につける趣味は無いけどね。

排気ガスの中に突入し、ウランバートルの中心に近い自然史博物館へ。なんだかあっさりした建物だ。外見もあっさりしているが、中もあっさり。欧米の博物館と比べたら味気ないくらいだが、自然史博物館として必要な展示物はちゃんとそろっている。まずはモンゴル全土のジオラマや地図、鉱物など。ゴビ砂漠は完全な砂漠ではなく、植物が生えていて「ゴビ=すこし草が生えている所」という意味だそうだ。つまり「ゴビ砂漠」と呼ぶのは少しおかしいらしい。それから動植物の標本と化石の類。ここの一番の目玉は恐竜の全身骨格。写真撮影は有料。ここに限らずモンゴルの観光地はどこも撮影は有料の様だが「禁止なら禁止、OKならOKにすればいい。お金払えば撮っていいなんて、変です」とガイドさんは少々憤っていた。確かにそうだ。

面白かったのはタルバガン(モンゴルのプレーリードッグ。食用になる。)のはく製コーナーで聞いた伝説。
昔、太陽が3つあった。大変暑いので、勇者が射落とすことになった。勇者は弓の名人で、愛馬を駆って太陽を追いかけた。彼は「失敗したら弓を射るのに使う親指を切り落とそう」と誓った。馬も「太陽に追い付かなかったら前足を切り落とそう」と誓った。しかし結果は失敗。勇者はタルバガン(前足の指は4本、後足の指は5本。絶対に食べない部位があり、そこは”人間の肉”と呼ばれている。)に、馬はトビウサギ(後ろ足だけで飛び跳ねる)になったとさ。
自然史博物館はモンゴル語表記がほとんどなので、ガイドさんがいないとチンプンカンプンだったと思う。丁寧に案内してもらって勉強になった。

次はスフバートル広場。ここがウランバートルの中心。モンゴル革命の英雄・スフバートルさんにちなんで名付けられた。「スフ」は鉄、「バートル」が英雄という意味。ちなみに「ウラン」は赤。かつてスフバートルがここで馬上演説を行い、それを記憶にとどめようと、そこに鉄の杭を打った人がいた。時は流れて、晴れてモンゴルが独立し、記念広場建設が計画された時、そうだ!あの杭の場所がふさわしい!・・・という経緯があったらしい。この広場の周りには、政府関係の施設や中央郵便局、大学や劇場などが集まっている。広場中心に立つスフバートル像の正面には国会議事堂とスフバートルともう1人の英雄をまつった霊廟がある。モスクワの赤の広場をモデルにした、と聞いて「なるほど」と思った。

一度ホテルに戻り、昼食。サラダ、マッシュルームのスープにマトンのソテー。濃い。食後は部屋でゆっくり休憩。次から次へと見どころをまわる様な観光はかなり疲れる。というか、普段いかにダラダラした旅をしているか気がついた。


スフバートルさんの像
空が暗いですがまだお昼
(画像をクリックで拡大)

午後の観光は3時頃出発。まずはさっき行ったスフバートル広場の隣にある中央郵便局へ寄る。広い。それに人も多い。ポストカードと日本までの切手を購入。絵はがきも切手も種類がたくさんあって、目移りしてしまう。国際電話や公衆FAXのサービスもある。人が多いのはこれのせいか?日本へは週3回航空便があるので、エアメールなら長くても1週間もあれば着く。実際、この翌日に投函した絵はがきは、私たちが帰宅する前にちゃんと着きました。
画像をクリックで拡大:小ヤギを懐に入れる少年達の絵はがき等を買いました。メエー。

ザイサン・トルゴイまでは車で15分程。丘の上にあるモニュメントだ。中腹までは車、そこから先は階段。見晴しがいい。良すぎてクラクラした。階段を上りながら後ろを振り返ると、そのままゴロゴローッと下まで転がり落ちたい衝動に駆られる(笑)。正面は霞におおわれたウランバートル。両側にはなだらかな山が見える。寒い。寒さで耳が痛くなった。なるべく振り返らないようにして、頂上まで上ると、巨大な兵隊さんの像が旗を掲げている。ザイサン・トルゴイはソ連とモンゴルの友好の碑で、両国が力をあわせて敵国を駆逐したのを記念している。敵国とはハルハ河の戦い(ノモンハン事件)における大日本帝国と、第二次大戦におけるドイツ。壁面を飾るモザイク画には、鍵十字の旗を踏みにじるモンゴル国民の姿などが描かれている。日本人にとってはあまり居心地は良くないかも。しかし最近はそういった政治色は忘れられているらしく、夜はデート・スポットとしてカップル達でにぎわっているそうだ。それはそれでイヤだ。

帰りはお土産やさんに寄って、ホテルへ。この後伝統音楽を聴きに行く予定だったが、あいにくこの日は休演日だったことが判明。7時の夕食までまた休憩。一眠りしてしまった。

夕食はポテト・サラダと淡水魚のピカタ。デザートにロールケーキ。モンゴルの料理はどれも塩味が強いように思うが、美味しかったことは美味しかった。

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